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明治伍年十一月三十一日

明治伍年に太政官布告によつて、それまでの太陰暦を太陽暦に改める際に十二月朔日二日を、十一月三十日三十一日と定むられた。

このことは宮武外骨なる奇人の書ひた明治奇聞なる書によると、


明治新政府の役人たる月給取り全体へ、一ヶ月分の給料を払い渡さねばならぬので、

とある。

まつたくもつて奇怪なり。十一月三十一日なる日は古今東西この日のみあり。
然し乍ら奇怪なるはこの時のみに非ず。
千五百八十二年十月、千七百五十二年九月もまた奇怪なり。

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斯様な所以はPostgreSQLのマニュアルを参照されたし。





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